1998.11.24 海老名SA  → 名神高槻バス停

 留年してしまった…
 というわけで、ヒッチハイクの旅はまだまだ続きます。

 留年の理由は卒論が不合格になったためだ。「卒論なんか、出しさえすれば通る」と甘く考えていたのが良くなかった。日本の大学は欧 米の大学に比べて入学しにくいが卒業しやすい、なんてことが言われているようだが、なかなかどうして、日本の大学を卒業するのも難し いものである。
 ま、いくら言い訳したところで、所詮は私がアホだったのだ。今年こそは卒業するために、卒論に真剣に取り組むことになった。私は歴 史学を専攻しているのだが、どうしても必要な文献が、東京都港区のアメリカンセンターにしかないことがわかり、時間もあまり残されて いないので、直接行って調べることにした。
 行きは新幹線、帰りはヒッチハイク。

1台目
乗車地 東名高速海老名サービスエリア
(神奈川県海老名市)
降車地 東名高速足柄サービスエリア
(静岡県駿東郡小山町)
車種 乗用車
乗せてくれた親切な方 おばさん(50代)とその息子(30才ぐらい)
乗るまでにかかった時間 15分

 毎度お決まりになってしまった海老名から19:00にスタート。
 15分後、裾野に行くという親子の運転する車に乗せてもらうことになった。主に就職に関する話をした。
 別れ際には菓子パンを4つももらった。


2台目
乗車地 東名高速足柄サービスエリア
(静岡県駿東郡小山町)
降車地 東名高速上郷サービスエリア
(愛知県豊田市)
車種 乗用車
乗せてくれた親切な方 40才営業マン
乗るまでにかかった時間 5分

 乗せてくれた方は、某外資系化粧品会社の営業社員で、家族の住む 横浜から、単身赴任先の名古屋に向かうところだという。家族のいる横浜から来たというわりには、家族の話が全然出てこない。今日は何 をしていたのか尋ねると、ゴルフをしていたという返事が返ってきた。その他に、風俗や恋愛の話も好んでしていた。この人、家族とうま くいってるのだろうか・・・?

3台目
乗車地 東名高速上郷サービスエリア
(愛知県豊田市)
降車地 栗東のとあるガソリンスタンド
(滋賀県栗東市)
車種 大型トラック
乗せてくれた親切な方 23才元暴走族のヘッド
乗るまでにかかった時間 10分

 このトラックに乗ったのは失敗だった。
 22:40、1台のトラックが止まってくれる。
「ちょっと寄り道するけど、乗る?」
と言われ、乗ることにした。どこへ寄り道するのかというと、豊田市で紹介された女性と会うのだと言う。
「女と会っている間、どっかで時間潰しててくれ。」
と、言われた。おいおい、いったいどれくらい待たされるんだ? しかも深夜にどこで時間を潰せばいいと言うのだ。
 約束の時間の23時になっても、女性から電話がかかってこない。30分過ぎても女性から連絡がない。彼が諦めて車を走らせ始め、し めしめ…と私が内心思っていたその時!彼女から電話がかかってきた。看護婦の仕事が長引いたため、連絡が遅れたようだ。
 私は、車を降り、近くにある吉野屋やコンビニで時間を潰すことにした。彼は1時間ぐらいで終わると言っていたので、トラックの運転 席をこっそり遠くから覗いてみた。助手席に女性が座り、なにやら談笑している様子。まだまだ終わりそうにないので、コンビニに戻る。 コンビニの店員の視線が気になる。
 彼女と別れ、出発できたのが翌日の2:30。長く喋っていたわりには、彼はあまり彼女のことを気に入らなかったようだ。
 また、彼は、私にしつこく「お金を貸してほしい」と言ってきた。そんな金があったらヒッチハイクなどしていない。

 朝の5時、栗東市内のガソリンスタンドで降りた。

4台目
乗車地 栗東のとあるガソリンスタンド
(滋賀県栗東市)
降車地 名神高速大津サービスエリア
(滋賀県大津市)
車種 大型トラック
乗せてくれた親切な方 20代男性
乗るまでにかかった時間 3分

 車が頻繁に通らないガソリンスタンドで降りたということもあっ て、前のトラックの運転手が、他のトラックの運転手に交渉してくれたおかげで、すぐに乗せてくれるトラックが見つかった。乗って20 分後には、大津に着いた。

5台目
乗車地 名神高速大津サービスエリア
(滋賀県大津市)
降車地 名神高速高槻バス停
(大阪府高槻市)
車種 黒のBMW
乗せてくれた親切な方 中年男性2人
乗るまでにかかった時間 5分

 黒のBMWが止まった。一瞬、凍りついた。乗車拒否するのも失礼 かと思い、やむなく乗ることにした。
 主に助手席に座る男性と喋ったのだが、とても丁寧な言葉づかいで、親切そうな方だった・・・が、運転手が助手席の男性に喋べる口調 がやけに怖い。ひょっとしたら、ひょっとする職業の方たちだったのかもしれない。それを尋ねる度胸はなかった。
 幸いなことに20分後には高槻に着いた。緊張の20分間だった。

 数ヶ月後、卒論は無事合格の評価を得て、やっと大学を卒業することになった。社会人となれば、もうヒッチハイクをする機 会もあるまい、と思った。

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