インド脱出

1999.3.17

 独房の様な陽の光のほとんど届かない部屋で、かなり朝早く目が覚めてしまった。日本にいるときより規則正しい生活をしている。日本では午前11時起床、深夜3時消灯という生活を送ってきた。日の出とともに起き、日没とともに寝る生活というのもなかなかいいものである。せっかく朝早く起きたことだし、市場をぶらぶらして食事をしてから宿に戻ってきた。
 実は昨日、宿の前のクリーニング屋に、ズボンやシャツの洗濯を頼んでおいた。今まで自分で洗濯してきたとはいえ、手抜きの洗濯では不十分らしく、だいぶ汚れが目立ってきていた。日本へ帰る時はきれいな姿で帰ろうと思ったので、昨日の昼に洗濯を頼んでおいた。値段は20ルピー。クリーニング屋のおやじからは、当日の夜8時にできあがるので、その時取りに来るように言われていた。しかし、昨晩は日本人旅行者と飲んでいたので、取りに行くことができなかった。それを今から取りに行くことにした。
 おやじは店の前のチャーイ屋で談笑している。私はおやじに声をかけた。
「服を取りに来ました。服をください。」
 おやじの顔が怒っている。
「おまえは昨日来なかった。帰れ!今は休憩時間だ。30分後に来い。」
「はい、ごめんなさい。」
 おやじの剣幕におされ、私はついひきさがってしまった。酔って忘れていたことが引け目になっていたのかもしれない。

 私はきっかり30分後にまた顔を出した。
「あの〜、私の服をください。」
「今日はPuja holidayだ。仕事も休みだ。明日来なさい。」
「それは困る。今日、私は日本に帰る。今ください。お願いします。」
「おまえは昨日取りに来なかった。おまえが悪い。明日来なさい。」
 だんだん腹が立ってきた。どっから見ても今日が休業日のようには思えない。おやじはちゃんと仕事をしている。前金で代金を払うんじゃなかった、と今更ながら後悔した。ケンカして勝てない相手ではない。無理やり店の奥に入っていって自分の服を探して奪っていこうかとも思った。しかし、宗教的なことを理由にする相手ともめたくなかった。でも引き下がるわけにもいかない。こういう時は日本語で怒る方がいい。
「はよ、服出さんかい! Give me my clothes! 出さんかったら無理やり取りに行くぞ!」
「Puja holidayだから働くことが禁止されている。どうしてもほしいなら5ルピー寄付しなさい。」
 う〜ん、そうきたか。5ルピーならまあいっか。私は妥協して5ルピーをおやじに渡した。おやじは入口に飾られていたPUJAの像の前の皿に5ルピー貨をおいて、祈った。それからおやじは店の奥に入っていき、私の服を持ってきた。
「どうだ、きれいだろう。これが君の服だ。」
 確かにすっかり汚れは落ちていて、アイロンもきれいにかけられていた。充分満足できる仕上がりだ。
「Thank you. Good job. でも二度と来るか!ボケ!」
 最後の部分は日本語で言ったから、おやじには通じなかっただろう。インドを去る前に嫌な思いをしてしまった。

 洗いたてのきれいな服装に身を包み、宿をチェックアウトした。もうすることといえば、空港行きのバスに乗って帰国するだけなので、昼食は豪華なものにしようと思った。豪華といっても150ルピー程度しかかからなかったが、タンドリーチキンやシェイクなどとてもおいしかった。カレーなんて食べずにタンドリーチキンばかり食べておけばよかったと後悔した。めっちゃおいしかった。最後に下痢も治って食欲が回復して本当に良かった。

 空港行きのバスに乗り、数十分走ったあたりで空港施設にたどり着いた。カルカッタからバスと電車を乗り継いで、なんとか無事にデリーまでたどり着くことができた。
 が、安心するのはまだ早かった。着いたところは国内線だった。国際線はここから6km先にあった。そういえば一緒にバスに乗っていた日本人が見あたらない。先頭を歩いてきたから気づかなかったが、みんなどこかへ消えてしまっている。しまった、しまった…。はぁ、どうして最後までこうどんくさいんだろう…。確か国際線行きの無料バスが運行されているはずだ。それを探そう。
 そこへ、男が声をかけてきた。
「国際線に行きたいのか? バスはないよ。タクシーで行くといい。たったの20ルピーだ。」
「あなたは嘘つきだ。無料バスがあるはずだ。無料バスの停留所がどこにあるか知ってるか?」
「無料バスはない。有料バスはあるが、20ルピーだ。それならタクシーの方がいい。」
 私は男を無視して、別の空港職員らしき男性にバス停の位置を尋ねた。職員はだいたいの位置を教えてくれた。それでも男は引き下がらない。
「彼(空港職員)は嘘を言っている。無料バスはない。あれは有料だよ。タクシーの方がいい。5ルピーでいいよ。」
 値段を下げてきやがった。やがて私がバス停に近づくと、男はやっと諦めて去っていった。無料バスはしっかり運行していた。ふっふっふ、私の勝ちだ。しかし、最後まであきらめない彼の商魂のたくましさは尊敬すべきかもしれない。

 この何週間か、歩いているだけでいろいろなことに出くわすので飽きなかった。毎日がインド人との戦いの日々だった気もする。でも、それはそれで面白かった。
 飛行機の座席は、私の大好きな窓際だった。隣席は英語を喋ることのできない韓国人のおじいちゃん。私は窓の外ばかり眺めていた。飛び立ったら大都会デリーの夜景が見れるものと思ってワクワクしていた。
 そして飛行機が飛び立った。残念ながらデリーの街を空から発見できなかった。そんなにデリーは暗い街なんだろうか。それとも停電だったのか。
 あ〜、物価の高い日本に帰ってしまうのか…。春からいよいよ社会人。あ〜ぁ、働きたくないなぁ。

おわり

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「デモ隊と警官隊」

 

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