の〜んびり
1999.3.11
砂漠の旅も三日目。そろそろ飽きてきたような気もするが、のんび
りだらだらとしたこの雰囲気が気に入ってしまっていた。ラクダに乗っているから全然歩かなくてもいいし、食事は黙っていても作ってく
れている。アルンやナランと話すネタにも切れてきて、
「Why are you quiet ?」
などとナランに何度も言われたが、もう話すことが思いつかない。しかも、彼らも私もそれほど英語が堪能なわけでもないから、込み
入った会話をするのは難しい。それでもアルンやナランは私を楽しませようとしているのがよく伝わってきた。その気持ちは嬉しかった。
が、食事のたびに私が彼らに貸していたナイフを彼らはなくしてしまった。
「じゅんいち、ごめん、ナイフをなくしてしまった。ごめん。」
まさか、盗ってないやろなあ、とちょっぴり疑ってしまったが、彼がとても申し訳なさそうにしているので、
「大丈夫、大丈夫、心配するな。」
と、返事しておいた。気まずい雰囲気から早く脱出したかった。早くいつもの陽気なナランに戻ってほしかった。
今日はイスラム教徒※13の村を訪問することが多かった。村の成人女性は私の姿を見るとサリーで顔を隠して
しまうので、村で見るのは、男と幼い女の子ぐらいだった。村の子どもは元気でかわいげがあり、
「うちにおいでよ。これ食べてみて。」
などと言って家に招待しては、木の実をくれたり、写真を撮ってくれとせがんできたりする。もちろん、
「お金ちょうだい。ペンちょうだい。」
などとも言ってくる。彼らがこうなったのも我々観光客のせいなんだろう。
ナランは村を訪れるたびに顔馴染みの村人と会話している。ナランの友達の家に招かれてチャーイをごちそうになったりすることが多
かった。
イスラム教徒の村の少女たち |
イスラム教徒の村の少女 |
夜もそう
だった。まわりに家など一軒も見えないのに、どこからともなくラクダを連れた老人と、山羊を連れた老人の二人がやって来て、一緒に晩
御飯を食べることになった。ターバンを頭に巻いて、腰布を身体に巻いている。いかにもインド人という格好だった。同じ釜で五人分の夕
食を作り、水や食糧を分け合った。みんなで楽しそうに会話をしているので、私もその会話に加わりたかったが、老人二人はあまり上手に
英語を喋れないらしく、主にヒンドゥー語での会話だった。少しはヒンドゥー語を勉強してからインドに来た方がよかったと後悔した。
寝るときになっても老人達は自分の家に帰ろうとはせず、私たちと一緒の場所に寝ることになった。はて、この人たちはどこから来てど
こに去っていくのだろうか。
今日も星は綺麗だった。
※ 注
(13) イスラム教徒の女性は顔や素肌を隠すのがしきたりです。
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