ラクダの旅
1999.3.9
朝、起きると玄関先で、A子さんと見知らぬ日本人男性がベンチに
腰掛けて談笑している。私もその輪に加わりたくて近づこうとするが、ジョーが、
「ちょっと来てくれ。サファリの用意を見せてあげるよ。」
と言って私をとある部屋へ連れていき、たくさんの食料や水を見せてくれて、キャメルサファリでどういう食事をすることになるのか、
説明してくれた。それが終わって、A子さんたちの所へ行こうとすると、またまたジョーが、
「一緒にこのあたりを散歩しよう。」
と言ってくるではないか。言われるがまま、ジョーとジャイサルメールの町を散歩して、10分ほどしてからホテルに戻ってくると、ま
だA子さんたちはベンチに座っている。それを見たからなのかどうかはわからないが、ジョーは、
「もうちょっと散歩しよう。」
と言い出した。ジョーはもしかして、私がA子さんたちと喋ることを嫌がってるんだろうか。そして、今来た道を引き返して、二人でし
ばらく歩く。次にホテルに戻ってきたときにはA子さんたちの姿はなかった。ジョーは散歩している時、特にお喋りだったわけではない。
静かに二人で町を歩いた。ジョーは何を思っていたんだろうか。
しばらくして、キャメルサファリの食料は備品の用意ができたというので、私はジープに乗せられた。隣の席にはホモっぽい男(昨晩の
少年とは別人)が座りこんできた。こいつはあきらかに目や仕草が他の人と違っていた。いかにも、という感じだった。私を見つめて、私
にすりよってくる。しまいには私の手の甲にキスしてくる始末。もうやだ、こんな人たち。
10分ほど走って、ジャイサルメールの郊外に出て、ジープは荒野の中にある小さな村に辿り着いた。ここが砂漠への出発地点らしい。
ジープを運転してきた人は、ここで私とナランおじさんと荷物を降ろして、ジャイサルメールへと帰っていった。
村では、ラクダの持ち主であるというアルンという17才の少年が私を迎えてくれて、自分の家に招待してチャーイをごちそうしてくれ
た。チャーイを飲みながら彼らの仕事ぶりを観察しているが、ちっとも急いでいるような雰囲気はない。のんびりとラクダのエサを袋につ
めたり、どこぞをうろついているラクダを探しに行っている。
私が暇そうに座って眺めていると、この村のキャメルサファリの責任者らしい人が近づいてきた。
「ちょっと秘密の話があります。これはホテルのマネージャーには言わないでほしい。」
「何の話ですか?」
「私はキャメルサファリのガイドです。あなたやあなたの友人が再びジャイサルメールに来ることがあったら、私の住所を教えるので、リ
クシャーに頼んで直接ここに訪ねてくるといい。ホテルや旅行代理店でブッキングすると高いだろ? 直接来たら安くしておくよ。友達に
もいっぱい教えてあげてくれ。」
「はい、もちろん。ありがとう。」
この人もなかなかの商売上手である。
準備には約一時間かかった。出発が遅れた原因は、ラクダが遠くに行ってしまってて探し出すのに苦労したからだそうだ。いくら放牧と
はいえ、敷地がでかすぎる。やっとのことで準備が整って、村をたったのは午前9時頃だった。
メンバーはラクダ2頭に人間3人。ラジャンという名の黄土色の毛並みのラクダにナルンとアランが乗り、カルという名の茶色のラクダ
に私が乗った。荷物は、ラクダのエサ用の干し草、大量のミネラルウォーター(私専用)、野菜、米、パン、小麦粉、カレーのもと、香辛
料、チャーイの葉、みかん、ビスケット、卵、水筒、ブランケット、食器類、私のリュックなどである。
そして、待ちに待ったラクダに乗る! まあ、鳥取砂丘に行けば簡単にラクダに乗れるわけだけど、それを言っては身もふたもない。な
により地平線を見ながらラクダに乗るというのがいい。日本ではなかなか地平線を見ることはできない。ここだと高い丘に登れば360度
見渡す限り地平線だ。うーん、感動だ!
ラクダの背中は地上から2mぐらいあって、景色がよろしい。歩くのが遅いから揺れないし、お尻もそんなに痛くならない。「ひとこぶ
ラクダの背中のどこに乗るのか?」と、乗る前は疑問に思っていたが、答えはこぶの前だ。でもこぶらしいこぶはない。こぶには毛が盛り
上がっているが、大きな起伏はない。それに鞍があるので、それほどこぶは関係ない。
私たちは荒野を歩いていく。砂漠らしい砂漠は見えない。木や草が点在している。私のイメージでは、サハラ砂漠のように、草木が一つ
もなく、見渡す限り砂丘が連なっているというものだったが、ここではそうではなかった。砂漠というよりも荒野といえた。「まだ、砂漠
に着いてないんだ。そのうち広大な砂漠に辿り着くに違いない。」と思って、自分を慰めていた。
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11時頃に木陰でお昼休みということになった。確かにこれ以上歩
いていたら、日射病になってしまいそうだ。そろそろ休憩が欲しいと思っていたところだった。ラクダの背に乗っていた荷物を全て降ろ
し、鞍もはずして、ラクダはその辺に放し飼い。不思議とラクダは遠くに逃げようとはしない。そこらへんに生えている草木をおいしそう
に食べている。
そして人間様の料理づくりも始まった。料理はアルン少年とナランおじさんが作ってくれる。私はというと、ブランケットの上に座って
みかんを食べながらそれをのんびりと眺めているだけ。アルンが薪を拾ってきて、お湯を沸かして、まずはチャーイを作った。料理の前に
チャーイを飲んで一服するのが、彼らの習慣らしい。
飲み終わると今度はカレー作りが始まる。肉はない。中身は全て野菜である。カリフラワー、ジャガイモ、ししとう。ところがいざそれ
らの食材を切ろうとするとナイフが見つからない。
ナラン「アルン、ナイフはどうした?」
アルン「あっ!忘れた。」
私「・・・(おいおい、この先大丈夫かよ)」
ナラン「困ったなぁ・・・(私を見て)ナイフ持ってないか?」
私「うん、持ってるよ。貸してあげる。」
というわけで、以後、食事の度に私はナイフを貸すことになった。
カレーができあがると、今度はチャパティ(小麦粉を円盤状に固めて焼いたもの)ができあがった。食欲のある健康な状態ならこれらの
料理はきっとおいしいのだろう。しかし、私はまだ下痢が治っていなくて、それほど食欲があるわけではなかった。しかも、もともとカ
レーはあまり好きな方ではない※11。毎日こういう料理が続くかと思うとちょっと憂鬱だった。まずい料理では
なかった。体調のいいときに食べてみたかった。
食器の後片づけは、さすが砂漠の旅だと感心した。水はいっさい使わない。すべて砂で洗っていた。砂でこすって食べ物の汚れを取り、
鍋のこげを取る。なんかままごとやってるみたいだ。
そして昼ご飯が終わったら、川の字になって昼寝。ご飯は勝手に作ってくれるし、のんびりごろごろできるし、とっても楽ちん。あ〜、
極楽、極楽。
アルン少年が作ってくれる昼ご飯 |
お昼寝タイム終了は午後3時。昼休みが4時間もあったことにな
る。ラクダの速度が人間の歩く速度とそんなに変わらないから、この調子でいったらそう遠くへは行けないような気がする。本当に砂丘に
辿り着けるのかなあ?と不安な気持ちになったが、さっそく夕方には念願の砂丘に辿り着いた。やったー!砂丘だー!風紋もしっかりある
し、ほとんど人に荒されていない。ナランが言った。
「砂丘に着いたよ。今日はここで夕日を見よう。そして砂丘の上で寝て星を見よう。」
ほほぉ、なかなかいいではないか。思っていたより砂丘が小さいのが気になるが、明日はもっと大きい砂丘に連れて行ってくれるという
ので、それに期待しよう。砂丘の上で星を見ながら寝るのを楽しむとしよう。砂漠の夜は冷え込むので、砂の上にブランケットを敷いて、
寝袋に入り、さらにその上にブランケットをかける。アルンとナランは二人仲良く一緒のブランケットで寝て、楽しそうに会話をしてい
る。男同士で一緒の布団に寝て恥ずかしくないのだろうか。インド人と日本人で意識の違うとこだろうなあ。
ともかく、日本では見ることのできない無数の星を見ることを期待していたが、曇り空のために星はあまり見えなかった。とほ
ほ・・・。
風紋の残る砂丘 |
※ 注
(11) 私はカレーが嫌いです。小学校のキャンプとかでは必ずといっていいほどカレーが出てくるので、嫌だった。で
も、日本のレトルトのライスカレーに比べたら、インドのカレーはおいしかったです。そうは言っても、旅行中はできるだけカレー以外の
ものを食べてましたが。
え?カレー嫌いがなんでインドに行ったかって? う〜ん・・・
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