アーグラー一日観光

1999.3.6

 アーグラーには大きく三つの観光場所がある。一つはご存じ「ター ジ・マハル」。インドに来たからにはこれだけは見ておかないと、友達に自慢もできない。
 第二に、「アーグラー城」。アクバル大帝の時代に建設された城として有名だ。
 第三に、「ファテープル・スィークリー」。タージ・マハルほどの知名度はないが、これも立派な世界遺産であり、アクバル帝が築いた 都市であるが、水源不足のために14年で見捨てられ、今は遺跡として残っている。
 これら三つの観光ポイントを私は一日で見てまわるつもりだった。アーグラーの水質はとても悪く、インド人でも飲まないということを 聞かされており、体調の悪い今の私は、この町で長居したくなかった。それに、インド有数の観光地ということもあって、この町はリク シャーとのトラブルが絶えないとも言われていた。長く滞在して楽しくなるような町ではなさそうだった。見るべきものを見たら、次の町 をめざそうと思った。
 水野君はこの町でもっとゆっくりしたがっているようだった。でも、私は彼に妥協してまで行動をともにしようとは考えていなかった。 自由気ままな一人旅。意見が合わなければ、それがお別れのときだと思っていた。体調がすぐれないせいもあるだろう。

 アーグラー駅には早朝に着いた。まだ太陽は昇っていなくてあたりは薄暗い。そして、例によって例のごとく、リクシャードライバーが わっと押し寄せてくる。そんなとき、一人の日本人学生が話しかけてきた。
「タクシー一緒に乗りませんか?」
「ええ、いいですよ。」
 特に断る理由もなかったので、一緒にリクシャーに乗ることにした。また同行者が増えてしまった。一人で旅したい気分なのになあ。
 ともかく、私たちは比較的安全とされているプリペイドタクシーを利用することにした。料金前払いで、ちゃんと目的地に連れて行って くれた。土産物屋やホテルや旅行会社に連れていかれるようなことはなく、無事タージ・マハルに着いた。
 タージ・マハルは時間帯によって入場料が大きく異なる。8:00〜16:00の時間帯だとたったの15ルピーだが、それ以外の時間 帯に入場しようとすると105ルピーの入場料を払わなければならない。つまり夜明けと日没というもっともタージ・マハルが美しく見え るであろう時間帯は料金が高くなっているのだ。
 私以外の二人は入場を渋っているようだった。でも、せっかくここまで来たんだから、高い金(といっても日本円になおすと安いのだ が)を払ってでも朝日を浴びて輝くタージ・マハルを見たいというのが私の考えだった。私は「じゃあ、お元気で!」と、軽く別れの言葉 を残して、一人タージ・マハルに向かって歩き出した。しかし、やっと一人になれたと思ったのも束の間、彼ら二人も引き返してきて 「やっぱり今見に行くことにしました」とのお言葉。う〜む・・・。

 朝日を浴びて輝くタージ・マハルを見た後は、三人で朝食をとり、 アーグラー駅で知り合った彼がホテルを探しに行くと言って別れ、再び水野君との二人で行動することになった。
 次はリクシャーに乗ってアーグラー城へ。降りるとき、リクシャードライバーは「お金はいらない。後で払えばいい。ノープロブレ ム。」と言っているが、かえって怖い。金を払おうとしても受け取らない。次の場所に移動するときも乗ってほしがっているのだろうが、 私たちは10ルピーを椅子に置いて立ち去ることにした。
 その次はバスに乗ってファテープル・スィークリーへ。制服を着た修学旅行の小学生、ジーンズをはいたインドの女子大生などがいて、 他とはちょっと違う雰囲気のする場所だった。立派な都市があったことを想像させる遺跡だった。
 この遺跡のモスクでは少年がガイドをしてくれた。少年についていくと、最後にはお店に連れて行かれた。せっかくガイドしてくれたこ とだし、日本から持ってきたキーホルダーと大理石の入れ物を交換した。

 早めの夕食を食べてから、午後5時半発ジャイプル行きのバスに乗り込んだ。水野君も一緒だ。アーグラーは一日観光が可能な町だっ た。もっと滞在すれば、もっと面白いこと、美しいものに出会えたかもしれない。それが少し残念だ。そして水野君にはちょっと悪いこと をしたかもしれない。彼はもっとここにいたかったかもしれない。

 まだ体調は回復していない。相変わらず食欲もあまりない。

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