子どもと水合戦

1999.3.1

 もっと眠っていたかったのに、なぜか6時頃に起こされた。
「おい、ガンガー(ガンジス川)見に行くぞ。」
 誰も頼んじゃいないのに、安眠を妨害されてしまった。どうやら、夜明け前に起きて、ガンジス川に昇る太陽を見に行くのがこのドミト リーのみんなの習慣になっているようだ。ほっといてほしいものである。昨日のローカルバスの旅で疲れたのか、もっと眠っていたい心境 だった。
 しかし、起きて正解だった。わぉー、きれいな日の出だねえ。こう見ると太陽の動くスピードって速いもんだ、と感じた。

 バナーラスはヒンズー教の聖地で、ガンジス川沿いにはたくさんのガート(沐浴場)があって、ガンジス川で沐浴するために全国からヒ ンズー教徒が訪れるのだという。そのうちいくつかのガートは火葬場であり、焼かれる人間をナマで見ることができるのだという。そうい う観光の町だった。「ここへ来たからには沐浴しなければ意味がない」と『地球の歩き方』には書かれている。

 朝にガート(沐浴場)で沐浴する人は多いらしく、沐浴する人も、 それを眺める観光客もたくさんいた。こんな朝っぱらからみんな元気なものだ。川の水はどう見てもきれいとは言えない。そして水に触っ てみるとけっこう冷たい。こんな冷たい水につかったら風邪をひいてしまいそうだ。どうも沐浴するのに抵抗を感じてしまう。いくら聖な る川っていっても、ヒンズー教徒でもないしなぁ。まあ入らなくてもいっか。でもやっぱり沐浴した方が話の種になるかなあ、などと悩ん でいた。
 そして、ここもやっぱり観光地だと感じた。日本語や英語で親しげに喋りかけてくる客引きが多い。昨日ホテルを紹介してくれたビッキ もその一人だった。
 なかなか注文した料理が出てこないホテルのレストランにしびれをきらして、外の屋台料理を食べようと一人で街中を歩いていたとき だった。
「Hello! 覚えてるか? ビッキだよ。友達、友達。何してるんだ?」
「レストランを探してるんだ。」
「ハッパいらないか? 200ルピーでどう?」
「いや、いらない。タバコも吸わないし。」
「なぜ? 今日はホーリーだよ。みんな吸うよ。じゃあ友達だから150ルピーでいいよ。」
 ハッパ、つまり麻薬のことだ。そしてホーリーというのは、春の到来を熱狂的に祝う祭りのことで、インド中がエキサイトするらしい。 人々は街頭で色粉や水を、相手構わずかけあって楽しむ。外国人などはいい標的だ。特にバナーラスのホーリーは盛大に騒ぐらしく、麻薬 や酒を飲んでラリったインド人がうじゃうじゃ徘徊するらしい。たまったもんじゃない。中には外出禁止令を出すホテルもあるという。し かし、そのホーリーというお祭りが見たいからわざわざこの時期をねらって、一番盛大に行われるというバナーラスに来たのだった。
「とにかくハッパはいらないよ。なにかおいしい物が食べられるところはないかな?」
「両替はしたくないか?」
「いや、けっこう。」
「サリー欲しくないか?」
「いや、だから、今はお腹がすいてるんだけど・・・」
「よし、わかった。ついてきな。」
 そして、やたらと細い道をぐるぐると引き回して私をどこかに連れていく。その間にもしきりにハッパを売ろうとする。ハッパだけでな く、土産物屋や両替商の所へ連れて行こうとする。やがて、諦めたのだろうか、大通りにでると、
「ここをまっすぐ歩いていくとレストランがいっぱいあるよ。バイバイ。」
 なんともそっけないお別れだった。どこが友達やねん! どうやらコミッションをくれるレストランは存在しないようだ。

 ホーリーは今日の午後から始まり、明日の昼ぐらいまでバカ騒ぎが続くという話だった。ホテルのドミトリーに戻ると、同室の加藤君と いう大学生が声をかけてきた。
「みんな、俺と一緒に戦いに行く勇者はいないか!」
 その加藤君の服は赤く染まっている。聞けば子どもたちに色水をかけられたのだという。その復讐に一緒に行かないかと私たちを誘って いるのだった。ホテルでホーリーから逃れるためにじっとしているよりも、外に出て子どもたちと遊ぶ方が楽しいような気がした。私は加 藤君とともに、インドの子どもたちをやっつけに行くことにした。
 まずは、水鉄砲や、水に色をつけるための粉を買出しに行かなければならない。バザールで水鉄砲と水風船と色粉を買った。貧しそうな 子どもがそれを自分にも買ってくれとねだってくる。水鉄砲を買う金がない彼らもホーリーの日にはやはり遊びたいのだろうか。それとも 水鉄砲を買ってあげても彼らはそれをお金に換えてしまうのだろうか。これまで何度もバクシーシをねだる子どもには会ってきたが、お祭 りに参加できない子どもを見るのはこれまで以上につらかった。
 さて、次は戦いの準備だ。ガンジス川の水を水鉄砲に注ぎ、それに色粉を少々。分量や戦い方は付近のおじさんや友好的な子どもが教え てくれた。
「君たちの水鉄砲を奪おうとする奴、攻撃してくる奴、そういう奴には容赦なく水をかけろ。」
 と、おじさんは言った。とりあえず怖そうな人に水をかけなければ大丈夫なようだ。
 そして、いざ、やんちゃな子どもたちがいるガートへと、私と加藤君は歩いて行った。さっそく奴らは水風船で攻撃してきた。こっちも 安物の水鉄砲で応戦する。しかし、いかんせん安物を買ってしまったため、飛距離がのびない。奴らインド軍の水鉄砲は飛距離があり、し かも水風船という優れた兵器も標準装備している。我々日本軍は実に情けない装備だ。ここは突撃して接近戦に持ちこむしか手はない。そ うすると、当然日本軍の被害は大きなものとなった。Tシャツやズボンが青色に染まってしまった。
 だんだん白熱してきた。インド軍はガートというひらけた戦場から、市街戦へともちこんでいった。モロッコのように狭い路地が続き、 日本軍はなかなかインド軍の姿をとらえることができない。しかもインド軍は自分の家にすぐ逃げ込んでしまう。そこに逃げ込まれてはさ すがの日本軍も攻撃することができない。
 と、そんな時だった。近所のおじさんに怒られた、と思う。なにぶんヒンズー語なので、何を喋っているのかさっぱり理解できない。た ぶん「ここで遊ぶな!もっと広いところで遊べ!」とでも言っていたのだろうと思う。子どもたちも叱られていた。私も思わず日本語で 「すみません。」と謝ってしまった。そしてここに停戦協定が成立した。

 ホテルに戻ったらさっそく着ていた服と身体を洗うことにした。身体の汚れは落ちたが、服の汚れはどうやら洗っても無駄なようだっ た。
 ホーリーの騒ぎか加熱しないうちに、日本へ絵葉書を投函するという用事だけをすましてホテルで待機することにした。もう子どもたち に水をかけられるのはこりごりだ。
 郵便局の場所はなかなかわからなかった。商店主に聞いても、「今日は郵便局は閉まっているよ。それよりクルター(男性用の民族服) を買わないか?」などと嘘をつく。そいつにそれ以上聞くのは諦めて、近所の子どもに聞いたら郵便局まで連れて行ってくれた。当然郵便 局は営業していた。※7

 ホーリーの夜、ちまたでは麻薬でラリった人間がそこらじゅうにたむろしているのだろうか。ホテルの屋上レストランからはその状況は わからない。ここではのんびりと欧米人や日本人が過ごしている。平和そのものだ。一つだけ平和でないことがあるとすれば、W大探検部 の彼が体調を崩してしまったということだ。彼は、
「ガンジス川の水を浴びたのがよくなかったんですかねえ、ハッハッハ。」
 と、元気さを装っている。そういえば今日、私は(たぶん)ガンジス川の水を沸かして作ったチャーイを飲んだ。ちょっと怖い。

※ 注
(7) 帰国後確認したところ、手紙は日本に届いてませんでした。おそらく郵便局員に切手代をだましとられたのでしょう。


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