マフィアと盃をかわす

1999.2.27

 朝5時半、ほぼ時刻表どおりにガヤ駅に着いた。昨日、隣のインド人と親しくなっておいたのがよかった。「次がガヤ駅だよ」と教えてくれた。カルカッタとは違って田舎町とはいえ、ここでも駅前には多くの人間が寝っころがっている。死んでのではないか、と思えるような人もいる。
 そしてここもやっぱり観光地なのだろう。日本人がいるとわかると、リクシャーがたくさん寄ってくる。バス停までは2kmほどある。歩くのはちょっとめんどくさい。私は初めてリクシャーと交渉することになった。「50ルピー」などとふっかけてくるリクシャーがいる。私たちは「バス停まで5ルピーずつ。あわせて10ルピー。」と言ってゆずらない。「それは安い。20ルピーでどうだ。」などとほざくリクシャーは無視して、他のリクシャーにあたる。すぐに10ルピーでバス停まで行ってくれるリクシャーが見つかった。よし、彼に決めた。
 乗ってはみたものの、リクシャーはしつこい。
「ブッダガヤまで100ルピーで行ってやるが、どうだ?」
「No, thank you. Bus station !」
「じゃあ、50ルピーでどうだ?」
「No, thank you. Bus station !」
 こいついきなり半額に下げやがった。でも、彼に悪気があるようには思えない。違うところに連れて行かれたり、降ろされてから、もっと払えと脅されるのではないかと恐れていたが、バスの扉のすぐ横で降ろしてくれた。10ルピー渡したら素直に去っていった。なんだ、そんなにビクビクする必要もないな。これからはリクシャーも利用しよう。そう思った。

 バスでブッダガヤまで30分くらい。ここは田舎だ。カルカッタとは違う。なんとなくほっとする。相変わらず、無茶な追い越しで、交通ルールが存在しないかのような走り方をしているが、田園風景の中を走っているせいもあって、車内に吹き込む風がなんとも気持ちいい。
 ここブッダガヤは、釈迦が菩提樹の下で悟りを開いたという仏教の聖地らしく、各国のお寺がいっぱいある。その中の一つであるミャンマー寺には宿もあり、格安で泊めてくれるというので、まずはそこに行ってみることにした。ダブルルームで70ルピー。1人35ルピー。まずまずの値段なので私と今安くんはここに泊まることに決めた。
 とりあえず、朝ご飯でも食べようと思って外に出ると、日本語の上手なインド人が喋りかけてきた。最初は楽しい会話を続けていた。でもだんだんうっとうしくなってきた。
「うちのホテルに来たらいいよ。ミャンマー寺よりいいよ。」
「いえ、今のところで満足しています。」
「ここへ来たなら、あそこの前正覚山まで行くべきだよ。車で送ってあげるよ。もちろんお金はいらないよ。」
「いえ、けっこうです。」
「どうしてだ? 私を信じないのですか? カルカッタで悪いインド人に会ったのですね。ここはそんなことはないよ。私は日本語を勉強したいんだよ。今これだけ喋れるのも全部観光客から教えてもらったんだよ。だからお金はいらない。」
 彼は日本語を理解できるから、今安くんと内緒話をすることもできない。今安くんに「こいつ信用していいと思うか?」などと聞いても、それをこのインド人は理解してしまうのだ。面白いからついていってもいいかな、と思うが、今安くんはこのインド人を疎ましく感じているようだ。いったん宿に戻っても、扉の前で彼は待っている。協議の結果、彼を徹底的に無視することに決めた。彼は本当に親切な人なのかもしれない。信用できるかもしれない。でもやっぱり警戒してしまうなあ、この国では。

 それから、無神論者の我々二人は、がらにもなくお寺巡りをすることにした。ブッダガヤはなんといっても仏教の聖地である。まずはブッダが悟りをひらいたとかいうマハ―ボーディ寺院に行ってみる。ここにたむろしている少年達もまたまたかわいい。「ガイドするよ」と言って二人の少年がついてくる。なんか子どもは憎めないなあ。
「こっちこっち、来て。ブッダ、ブッダ。」
 と言って、いろんな建物に我々を連れていく。ブッダとは関係なさそうなものに対
と繰り返す。そしていつもきまってこう言う。
「ここだよ、ここ、ここ。ここにバクシーシをおいて、お祈りして。」
 はは〜ん、そういうことか。その金を子どもたちは後でもらうつもりだな。魂胆がみえみえで実に面白い。お金を投げるふりをすると、子どもたちはそっちを見る。子どもたちはだまされたと思って悔しがる。いや〜、愉快、愉快!

 そこ以外にも、各国の仏教寺があるので、今安くんといっしょにいろいろまわる。チベット寺、スリランカ寺、ネパール寺、タイ寺、ブータン寺、日本寺、中国寺。日本寺はなるほど日本のお寺っぽいし、中国寺は中国っぽい。なんかおじいちゃんの寺巡りツアーみたいだ。インドだから寺巡りもするが、日本ならここまでしただろうか。

 その次は、町から歩いて行けるところにあるスジャータ村というところに行ってみることにした。村の入り口近くなると、またも子どもたちが押し寄せてきた。10人ぐらいに囲まれた。
「ガイド、ガイド。20ルピー!」
 こいつらがめちゃくちゃしつこい。手に持っているミネラルウォーターを奪い取ろうとするし、ポケットに入っているカメラを取ろうとする。かなり積極的な奴らだ。子どもだから許せるが、大人にこんなことをされたら、怖くて逃げ出すだろう。
 やがて、べつに頼んだわけでもないのに、二人の子どもがガイド役をつとめてくれることになったらしい。残りの子どもは去って行った。まぁ、いっか。
 スジャータ村は確かに、村、といった雰囲気のところだった。子どもたちは楽しそうだが、大人たちはなぜか私たちの侵入を喜んでいないような気がする。インド人の顔って、怒っているように見えるもんなあ。
 たんぼで女性が野グソをしていて、私たちが近づくと慌ててどこかに行ってしまう。だって、ここは通り道なんだもん。悪気はなかったんだよ。許してくれよ。
 子どもたちはたんぼのあぜ道を通って、私たちをいろいろなところに連れて行く。子どもたちと過ごす時間はとても楽しかった。でも、それに大人が加わるとどうも楽しくない。村のお寺についたとき、大人が近づいてきて「バクシーシ、バクシーシ」と、すごい形相でこっちを睨みつけている。無視して歩き出してもずっとついてくる。なんと足の速い人だろう。どこまでもついてくる。
 それを振りきって一休みしていると、今度は少年が「ボールペンちょうだい」と声をかけてくる。ボールペンを要求されることはこれまでにも何度かあったが、試しに「Do you want to study ?」とゆっくり丁寧に質問してみた。
「No!」と、即答だった。少年ははにかんでいた。勉強したい子どもよりかわいい気がした。
 次は、村の出口まで、6、7才の女の子たちが、手のひらをだして念仏のようになにかを言いながらずっとついてくる。たぶんお金かなにかをほしがっているのだろう。村とはいえ、ここもやはり観光客がよく来るのだろう。

 夕方には、またもや、がらにもなく日本寺に座禅に行こう、という話になった。他にも日本人が何人かいた。やがて日本人のお坊さんがやってきて、お経を読み始める。
「ぶっせつまかはんにゃ〜は〜ら〜み〜た〜・・・」
 う〜ん、ここは日本じゃなかろうか。そんな心境になった。私のおばあちゃんの家でよく聞かされたお経と同じだ。はるばるインドまでやって来て、お経を聞かされるはめになろうとは。心の中でいろんなことを考えていた。
「早くお経終わらないかなぁ。あっ、スズメが来た。ワラを拾ってるなあ。ここに巣でも作る気かな。あ〜、仏像の上にとまっちゃってるよ。次はどうするのかな。鳥はいいなあ、誰にも怒られないしなあ。お腹もそろそろすいてきたなあ。どこのお店にしようかなあ。しかし、お経なかなか終わらないなあ。いい加減飽きてくるよなあ。」
 私の心の中は雑念だらけだった。

 やっとこさ座禅が終わると、日本人同士で情報交換会が始まった。私と今安くんは、バナーラス行きのバスについての情報を特に知りたかった。ちょうど明日バスでバナーラスに行くつもりだという学生(某W大学、探検部所属)がいた。彼はツーリストオフィスで100ルピーで購入したという。私たちもそのオフィスに行って確かめてみた。確かに100ルピーだと言われた。高い! もっと安く売っている所はないものだろうか。そのあたりをぶらぶら歩いていると今度は、日本語を喋るインド人と安田くんという日本人の会話が聞こえたので、彼らに聞いてみた。
「それなら50〜60ルピーで行けるよ。チケットなんて買わずにそのまま乗りこむのが一番。」
 と、流暢な日本語で返事が返ってきた。電車もバスもインドではチケットを買わずに乗るのが普通なんだろうか。ともかくこれで、100ルピーも払わずにバスに乗ることができそうだ。

 今安くんと夕食をとっていると、さっきの安田くんがやって来た。
「もしよかったら、一緒にお酒飲みに来ませんか? 僕、さっきのインド人の家に泊まってるんですよ。」
 おー、そりゃ面白そうだ。私たちは、安田くんが泊まっているということに安心して、彼の誘いを受けることにした。
 4階建てのマンションの3階の通路(ベランダ)には、さっきの二人が待っていた。日本語を流暢に駆使するインド人は、用事があるということでそのうちどこかへ行ってしまったが、代わりにその弟さんがやってきていっしょに飲むことになった。1本400ルピーするというウィスキーを開け、私たちのコップに注ぐ。そしておそらくはミネラルウォーターではないであろう水でそれを割る。
「あっ、生水だ。」と思ったけど、ミネラルウォーターを使わなかったからといって、飲むのを断っては悪いような気がして、何も言わずにそのまま飲むことにした。
 ウィスキーのほかにも、おつまみやマンゴが次々に出てきた。彼はきっとお金持ちなんだろうな、と思った。聞けば、このマンションを経営しており、団体客が来たとき以外は、お酒を飲んだり、トランプをやったりして一日を過ごすのだという。いい身分だ。
 やがて、ウィスキー片手に、日本でも有名なトランプゲーム「大富豪」が始まった。もちろんルールはインディアン・ルールだ。日本の「大富豪」と違うのは、勝負開始前のカードの交換がないということである。日本(私の住んでいる所のローカルルール)だと、一番負けた者(大貧民)が一番勝った者(大富豪)に強いカードを二枚渡す、といったことが行われる(いろんなローカルルールがあるのだろうが)のだが、ここでは勝負は一回きり。大貧民が革命を起こして大富豪に返り咲くという「大富豪」の醍醐味がない実にシンプルなルールになっている。どこかインドの社会に似ているような気がした。
 ともかく私たちは楽しい時間を過ごした。

 後にW大探検部の彼から聞かされた。
「あのインド人たちはマフィアで、ブッダガヤの元締めのような人たちみたいですよ。この町では、どれだけ多くの日本人と友達であるかということが、一種のステータスのようになってて、それがあるからああして、招待してくれるらしいですよ。」
 こわ〜・・・どおりで金持ってるはずやわ。でもほんまかいな。誰を信じればいいのだろう。疑い、考える癖がつく。探検部の彼の情報もどこの誰から仕入れた情報かわからない。本当にマフィアだったのだろうか。

前のページへ
「靴磨きの少年」

次のページへ
「ローカルバスの旅」

目次のページへ旅の地図