カーリー寺院のむか
つぐガイド
1999.2.25
朝6時半ぐらい、日の出とともに目が覚めた。なんて健康的な生活
なんでしょう。もう7時には完全に身支度を終えてしまっていた。そして、私は一つのことに気がついた。昨日支払った宿代の領収書をも
らってなかった。『地球の歩き方』には「領収書をもらってなかったら、チェックアウトの時に請求されることがある。」「中級レベルの
ホテルになると、チェックアウトの時に高い税金を請求されることがある。事前によく確認するように。」などと書いてある。もしや、や
ばいんでは!
そんなことを考えているとき、急に部屋が真っ暗になった。驚いてライターの火をつける。しかし、すぐに電球は明るさを取り戻した。
いや〜、焦った。どうやら昨日の夜のこともあって、ビクビクしているようだ。我ながら恥ずかしい。
さて、どうしよう。外をのぞいてみると、子どもしかいない。逃げるなら今だ。ヒトラーの言葉が頭をよぎる。「条約は破られるために
ある・・・」。思い立ったが吉日。ホテル脱出だー!
案の定、部屋の前に座っていたホテルの子どもが声をかけてきた。どうやらその子は英語を理解できないようなので、身振り手振りで朝
食に出かけると答えた。荷物が少ないとこういうところでも得をする。チェックアウトするようには見えないだろう。400ルピーも払っ
たんだから、まさかホテルの人も追っかけては来ないだろう。
しかし、ムスタファのことはちょっと良心が咎める。もしかしたらムスタファは本当に善人だったのかもしれない。しかし、4月から入
社を控えている私は、これ以上危険な真似をしたくなかった。
さよなら!ムスタファ。
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とりあえず、ムスタファに出会わないために、この付近から離れる
必要がある。カルカッタ公園、ウィリアム要塞の方に歩いて行ってみることにした。子ども達が朝っぱらからクリケットをしている。しば
らくすると、ウィリアム記念館までたどり着いて、ベンチで一休みすることにした。どこでもよく見かける英国建築だ。私が今まで旅行し
たことのある外国といえば、オーストラリアとシンガポール。どれも旧イギリス植民地ばかりで、このような英国建築を見てもとくに大き
な感動はない。でもインドにしてはうるさい人もいなくて静かな場所だったのでくつろぐことができた。コーランを読む学生が隣りに座っ
て喋りかけてきたぐらいだった。
次は、山羊をいけにえにするというカーリー寺院に向かうことにした。今度は道中で、クリスチャンだという老人が喋りかけてきた。イ
スラム教徒の次はキリスト教徒かよ。そしてやっぱり最後には、もうおきまりのようにバクシーシをねだる。それまでの楽しい会話がなん
だったのだろうと悲しくなる。
「病気治療のためのお金がなくて困ってるんだ。ほら、この手を見てくれ。バクシーシ、バクシーシ。」
彼もやっぱり金を要求してきたか。
地下鉄に乗って、カーリー寺院にたどり着く。ガイドと名乗る男たちがここではかなりしつこい。山羊をいけにえにする儀式を見たいと
思うのだが、なかなか始まらない。私は物乞いをしている親子の横に座って、儀式が始まるのを待つことにした。
緑のTシャツを着た若いインド人が隣に座って喋りかけてきた。彼もガイドの一人だ。しばらく普通の会話を続けると、彼が「時計を交
換しないか?」と言ってきた。見ると、彼のしている時計はコンパスもついていて、今の私にはとっても羨ましく思えた。私の時計はとい
うと、日本学生航空連盟が何かの記念でタダでくれた安物のプラスチック製で、朝日新聞のマークが入っている。彼は私の時計を手にとっ
て、「とても軽い!」と言って喜んでいる。私は喜んで交換した。その時計をもらって、彼は他のガイド仲間に自慢している。リーダー格
らしき赤いシャツを着た男はかなり悔しがっているらしく、今度は赤シャツの男がしきりに私に喋りかけてきて、「私の時計と交換しよ
う」と言ってくる。赤シャツの男のしている時計はデザインがいまいちで、コンパスもついていない。そんなのいらない。今の私には、コ
ンパスがあるというのは実にありがたい。赤シャツの男は、緑シャツの男の持つ時計を眺めては悔しがっている。その仕草を見ていると実
に面白い。他の日本人が来ると、「いいカモが来た!」とでも思っているのだろうか、私との会話を中断して、そっちに行ってしまう。
しばらくするとデリーから旅してきたという日本人学生がやってきた。彼も一人で旅をしているようで、一緒に座って儀式が始まるのを
待つことにした。いろいろ旅の情報を提供してもらい、話も弾んできた頃、かわいい子どもの山羊が3匹ほど連れられてきた。どうやらそ
ろそろ儀式が始まりそうだ。
ガイドが一段とうるさくお金を要求するようになった。
「お金を寄付しなければ、儀式を見ることはできない。50ルピーよこせ!」
我々はひたすら無視。日本のガイドブックにも「いっさい払う必要はない」と書いてある。
「払う気がないなら、この場から去れ! Get out!」
誰が払うものか。どうせてめえらが着服するだけだろう。特に赤シャツの男がしつこい。緑シャツの男は時計をあげてからすっかりおと
なしくなって、全くお金を要求してこなくなっていた。まったくもう、おとなげないんだから。
やがて、かわいい子山羊の首が、首切り台にセットされた。男が大きな刀を振り上げた。ブシュッ! 山羊の首はいとも簡単に切断され
てしまった。血が首から噴き出している。首のなくなった体はどこかに運ばれていくのだが、首がないにも関わらず、足をばたつかせてい
る。それがとっても不気味だった。刺身などにするために魚をさばくときに包丁を入れても、魚はピチピチと元気に踊っているが、それと
同じなんだろうか。ほ乳類も、首を切り離してもしばらくはピチピチと元気に動くのかな? じゃあ、ギロチンされた人間もしばらくは動
くのかな、などと考えてしまった。
続いて二匹目、三匹目。子山羊はかなり嫌がっている。 そしてガイドも意地悪になってきた。首を切る寸前になって我々の前に立ちは
だかり、見えなくなるように邪魔をしやがる。特に赤シャツの男だ。この赤シャツの男はまじでむかつく! 見えへんかったやんけ!
カーリー神に捧げる山羊の首切りの儀式も見終わって帰ろうとしても、ガイドはまだ「金を払え!」と言ってくる。しつこくついてく
る。しつこいんじゃ、われ。
カーリー寺院にいた子ども。「I want
bottle. I want money.」としきりにせ
がんできた。 |
カーリー寺院で知り合った学生は、小説『深夜特急』※5に
もでてきたSalvation
Armyのホテルに泊まっているというので、一緒にその宿に向かうことにした。昨晩は満員だったのに、今日はあっさりと宿がとれた。ドミトリーで一泊55ルピー。昨日とは
大違いだ。
無事、宿もとれたことだし、彼と近くのBlue Sky
Cafeという店に昼食に出かけた。噂のラッスィ(フルーツとヨーグルトと砂糖と水を混ぜた飲み物)とやらを飲んでみることにした。めっちゃうまい! ミックスジュース大
好き人間の私にはたまらない一品だ。水と氷を使っているのでちょっと怖い気もするが、おいしかったので、きっとまた飲んでしまうだろ
う。
さて、食事も終わって休む間もなく、早くこんな街は脱出してしまおうと考えた。次の目的地は仏教の聖地ブッダガヤだ。ガンディーい
はく「インドの魂は村にある」のだから、都市に長く滞在するよりは田舎の方が面白かろう。そしてなにより、私は滞在期間に限りがあっ
た。鉄道の予約のために、鉄道予約センターに行くことにした。リクシャーは使いたくない。歩くことにする。ちょっとインドを警戒し過
ぎかなあ、と我ながら思う。実は昨日のムスタファもいい奴だったかもしれないのだ。
噂には聞いていたが、チケット予約を取るのにはとても時間がかかる。とても長い行列だ。外国人用の予約センターがあるのでそれほど
苦労はしないが、ここへ来てあることに気づかされた。切符を買うには、アメリカドル、もしくはルピーを使うには両替証明書が必要だと
いうのだ。両替証明書はホテルにおいてきてしまっていた。今更ホテルに戻るなんて実にめんどくさい。あわてて、付近の銀行に行こうと
するが、どうやら外の様子がおかしい。誰かが演説している。銀行がことごとく閉まっている。なんでだろう? 不思議に思ってインド人
に聞いてみると、ストライキをやっているということがわかった。なんてタイミングの悪い!
しかし、その時私は10ドルだけ持っていることに気づいた。日本を離れる際に、友達から餞別として偶然にも10ドル紙幣をもらって
いたのだ。これで切符が買える。さすが世界一の国アメリカ!世界最強の通貨だ!
10ドルを握りしめて、私はもう一度並びなおすことにした。さすがは卒業旅行シーズンだけあって、日本人の学生が多い。その中に私
と、目的地と出発予定日時の同じ大学生がいた。今安くん(K大4年、24才、2年間浪人)という。2年間留年した私といい勝負であ
る。インドにおいてまさか私と同じ24才の大学4年生に出会えるとは思わなかった。
ところが、我々が予約しようとしていた電車は満席だった。3月1日まで席はないと言われた。これではカルカッタからの脱出が延期さ
れてしまう。今安くんも私も就職を控え、時間には限りがある。「インドの旅は急いではいけない」と言われているようだが、その時の
我々は少し時間に追われていた気がする。そこで今安くんとの協議の結果、我々は強硬手段にでることにした。列車の予約はせずに、乗車
券だけ買って列車に乗るのである。他の旅行者や『地球の歩き方』の情報によると、最終手段としてそういうこともできるということは
知っていた。車掌に見つかったら金を払えば許してくれるのだという。我々は賭けにでることにした。なんとかなるだろう。
鉄道予約センターを退出した今安くんと私は、日没までまだ少し時間があるので、近くにあるナゴーダ・モスクを見物しに行くことにし
た。彼はなかなか好感の持てる人だった。彼となら一緒に行動しても楽しそうな気がした。
やがて、喧騒の街のど真ん中にあるナゴーダ・モスクにたどり着いた。入り口で金を要求されたが、無視してずかずかと中に入ってい
く。もちろん靴はちゃんと脱いで入った。外と違ってここだけは静かで、別世界だった。信者たちがいっせいに礼拝している。
モスクの上の方にも登ってみた。窓から外を眺めると、狭い路地を人と牛がひしめきあっているのが見えた。民家の屋根で遊ぶ子どもた
ちが手を振っていた。このモスクの静かさが嘘のように、街はにぎやかに見えた。
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モスクからホテルに戻る途中、始めてチャーイを飲んでみることに
した。ガラスのコップに入って一杯2ルピー。実においしい。けっこういける。今安くんも気に入ったようだ。今度は、我々は、素焼きの
コップに入ったチャーイを飲んでみたくなった。インド人がやっているように、飲み終わったら素焼きのコップを地面に叩きつけて割って
みたいと思い、別の店でチャーイを注文した。今度は一杯1ルピー5パイサ。実にいい味だ。飲み終わった器は地面に叩きつけて割った。
気持ちよく割れた。
夕食後は、今安くんはバザールに行き、私はE-mailを送りにインターネットカフェに行くことにした。
「明日は午後6時に Salvation Army の前で待ち合わせて一緒に電車に乗ろう。」
ということになって、別れた。目的が同じときだけ行動を共にする。こういう関係でいいと思う。気楽でいい。
インドからE-mailが送れるというのは意外だった。14行で25ルピー。日本にいる彼女宛てに送った。世の中便利よのう。
ホテルに戻ると、同室の旅行者から新たな情報が入ってきた。明日は午後6時までストライキだという。ホテルマンに聞いてみても、
「All shop close. All bus and train stop.」
と回答が返ってきた。どうやら本当らしい。う〜ん・・・明日はどうなるんだろうか。まあ、なんとかなるだろう。明日に備えてとりあえ
ず寝よう。
※ 注
(5) 沢木耕太郎、『深夜特急3 -インド・ネパール-』、新潮文庫、1994年。
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