カルカッタ到着

1999.2.24

 ガールフレンド(今の妻)の車で送ってもらって夜の関西空港に到 着。彼女は、仕事で疲れている、というよりもうすっかり夜だから、会話の途中で時々目を閉じて眠ってしまう。学生にとってはこの時間 はどうってことない時間なんだけど、社会人にはつらい時間帯なのかなあ? いや、ただ彼女がお子ちゃまなだけだろう。うんうん、きっ とそうだ。
 その彼女が言った。「えっ!?荷物ってそんだけ?」 そうなのだ。私の荷物はとても少ない。徹底的に荷物を少なくしたつもりだ。大 学のクラブの合宿でもそうだけど、私は旅をするときは荷物をものすごく少なくすることにしている。旅は身軽なのが一番! そして今回 の旅でも、私より荷物の少ない旅行者に一度も出会うことがなかった。
 深夜1:50発のタイ国際航空、バンコク経由の飛行機で出発。そういえば、タイ国際航空は、ついこないだ墜落事故を起こした航空会 社だ。

 と、前置きはここらへんにして、昼過ぎにカルカッタ空港についた。国際空港のはずなのにやけにちっちゃい。「えっ、これが国際空 港? 日本の地方空港とちゃうか?」と思ってしまった。天井にはいくつかの扇風機が回って、暖かい空気をかきまわしている。インド人 は先を争うようにして入国審査のところに並ぶが、私は特に慌てる必要もないと思ってのんびりしていた。これが失敗だった。入国審査が めっちゃ遅い。乗客と空港職員がなにやら楽しそうにお喋りしている。「後ろがつかえとんねん! はよせー!」と怒りたい衝動を抑え、 椅子に座って気長に待つことにした。
 待つこと1時間。同じように諦めたようにのんびりしていた日本人旅行者との会話のネタにもつきかけてきた頃、やっと順番が回ってき た。私の入国審査には1分もかからなかった。何の質問もされなかった。「こいつら今まで何やっとってん。早くできるなら早くしろ!」 と、関西人の血が騒ぐ。
 しかし、それだけでは終わらなかった。今度は両替所にも行列が! はぁ、これがインドなんだろう。もう急ごうとするのはあきらめよ う。そして待つこと30分。やっと順番が回ってきた。前回のシンガポール旅行で余っていた164シンガポールドルを3895ルピー※2に 両替した。『地球の歩き方』※1によると、インドの銀行職員はお札の数を平気でごまかそうとするって書いてあ るから、ちゃーんと、職員の見てる前でお札の数を勘定した。よし、どうやらちゃんと3895ルピーあった。めでたし、めでたし。

 さて、そこからはカルカッタ市内に向かわないといけないわけだが、空港の出口には旅行者をいまかいまかと待ち受けるリクシャーワー ラー(人力車の運転手)がわらわらいる。これが噂に聞くインドの客引きか!
「Hello! Where do you go? Hotel?」
「taxi! taxi!」
「cheep money!」
 しつこいったらありゃしない。『地球の歩き方』によると、高いホテルに連れていかれたり、高いツアーを契約させられたり、高額な運 賃を請求されたりしてしまうことが多いらしい。誰がタクシーなんて利用するものか!
 しかしそう意気込んではみたものの、バス停の場所がさっぱりわからない。他の日本人もどうやらバス停がわからずに困っているよう だ。空港職員らしき人物に場所を聞いて、なんとなく言われた方向に向かって歩き出した。他の日本人も何人かついてきた。なんか、他に も日本人がいるとホッとするなあ。そして、どうにかバス停にたどり着くことができた。
 行き先は地下鉄のダムダム駅。バスはとんでもなくぼろい。窓ガラスはなくて、砂埃が車内に入りまくってくる。ゴミとうんこと牛だら けの町を揺れまくりながら走っていく。交通ルールなんてあったもんじゃない。クラクションを鳴らしまくって、わずかな車間距離で爆 走、無茶な追い越し。これがインドか! こわー。死ぬー、助けてくれー。狭いー、隣りのインド人の汗ばった肌が密着してる〜。
 でも、思っていたほどインドの町は汚くないというのが第一印象だった。もっとうんこが散乱して、牛が道をふさいでいると思ったけ ど、そうでもない。確かにゴミは多い。それに、崩れそうな粗末な家が並び、道端には汚れた衣服をまとう人々が大勢座りこんでいた。し かし、私の思いこみがひどすぎたようで、ちょっと安心した。知っている人は少ないかもしれないが、『僕らはみんな生きている』※3と いう日本映画で見たようなシーン−−−空港を出たとたんに数十人の物乞いに囲まれて、身動きがとれなくなってしまう−−−を私は想像 していたが、そんなこともなかった。たしかに物乞いはいるけど、思ったほどしつこくはない。安心した。

 「ここがダムダム駅だよ」とインド人の乗客に教えられて、我々日本人旅行者はバスを降りた。運賃はたったの2ルピー。ちょうどそこ に、タクシーでここまで来たという日本人がいて、声をかけられた。
「すいません。バスっていくらでしたか?」
「え〜っと、2ルピーでしたよ。」
「えー!そんな安いんですか!? 僕ら、タクシーに300ルピーも払ってしまいました。ボラれたー!」
 やっぱりリクシャーを利用しなくてよかったあ、と一安心。
 日本人旅行者10人ほどが、固まって地下鉄の駅に向かって歩き出す。変な光景だ。みんな不安なのだろう。だが、降りる駅はいろいろ とみんな違うようだ。私は、日没までまだ時間があることだし、寺院のある駅で降りようと思った。M.G.Road駅下車で、5ル ピー。ここまでは順調だ。やっと他の日本人と別れて一人になることができた。安宿街サダルストリートのある駅で降りずに途中の駅で降 りたのには、そういう理由もあった。一人で旅がしたかった。
 カルカッタの街を一人で歩く。人と車の量がものすごい。バスに乗っている時はそれほど感じなかったのだが、実際に歩いてみると、も のすごい喧騒だ。すげーぜ、インド!
 地図を見ながら寺院を目指すが、さっぱりわからん。どうやら道に迷ってしまったようだ。いつしか野菜市場に迷い込んでしまった。も のすごい活気に満ちている。そこらじゅう人、人、人…。野菜を積んだ荷車のせいで道がとても狭くなっている。それなのに前を歩く男が 急に立ち止まって、立ち往生してしまった。インド人に囲まれてしまった。
 その時だった! 背中のリュックがなにかガサガサいってる気がする! まさか!!と思って、リュックを自分の前に持ってきた。案の 定、チャックが開けられていた。こいつらスリだ! どうやら何も盗られてはいないようだ。チャックを開けられたところには重要な物を 入れてなくて、鍵もかけていなかった。こんな場所は早く離れよう。まわりに観光客らしき人は一人も見あたらない。とりあえず寺院にも たどりついたが、所詮ただのお寺。無神論者の私にはそれほどの興味もない。もうサダルストリートに行こう。

 地下鉄に乗って、サダルストリートの駅に着いたのが夕方5時頃。まだ充分明るくて、宿探しに困ることはないだろうと思っていた。と りあえず『地球の歩き方』に乗っている安い宿に行ってみる。
 一軒目の宿は満室だと言われた。そして二軒目、三軒目、四軒目…。だんだん不安になってきた。そういえば宿を探しているらしき旅行 者と何度も出くわす。さっきもどこかで出会った気がする。お互いの情報を交換してみると、サダルストリートの宿が満室だらけだという ことがわかった。もう『地球の歩き方』に載っていない宿もしらみつぶしに一軒ずつあたっていくしかない。それでも見つからない。とり あえず夕食を食べてから再び宿探しを再開するけど、結果は同じだった。途方に暮れていた。まさかインド初日から野宿かも…。
 赤ちゃんにミルクを買ってくれとせがむ女性、バクシーシ(喜捨)をねだる子ども、女やハシシ(麻薬)を買わないかと言ってくる男。 すごい世界だ。油断ならぬ国だ。弱気になった私は、しゃべりかけてきたインド人に頼ってみることにした。
「ホテルを探しているのか? おれが探してやるよ。」※4
 などと言ってくるインド人はそれまでにも何度となくいた。今までは無視し続けてきた。私は、ムスタファ(正式名はルパリ、21歳) と名乗る男についていくことにした。あきらかにうさんくさい。「自分は医学部の学生だ」とかほざいている。
「おれはおまえに一銭も金を払う気はないぞ。」
「オーケー、オーケー、ノープロブレム。心配するな。」
「じゃあ、なんでそんなに親切にしてくれるんだ?」
「日本人はインド人を誤解している。インドがすばらしい国だということをわかってほしいんだ。インドに対して悪いイメージを持ってほ しくない。特にベンガル州はすばらしい。だから親切にするんだ。他のインド人は金のことしか言わない。奴らは悪いインド人だ。」
 彼のねらいはいったいなんだろう? コミッション欲しさだろうか? そんなことを考えながら二人で宿を探し始める。確かに彼はよく 宿を知っていて、路地裏の宿にも連れていく。しかし、それでもことごとく満室だった。そして1時間は探しまわったところで、一度は高 すぎて断っていた400ルピーの宿で妥協することにした。テレビ、シャワー、トイレもついた中級ホテルだろう。ミネラルウォーターも 2本サービスしてくれた。
 そして、ムスタファと心ならずも仲良くなってしまった私は宿探しの道中、一つの約束をしてしまった。彼はしきりにカルカッタ観光を してあげる、と言ってきていた。
「明日はカルカッタ観光をしてあげる。日本人はすぐ日本人どうしで行動してしまう。それではインドの文化を理解することはできない。 本当のインドを理解することはできないよ。そう思わないか?」
「まあ、そうですねえ。」
「もしよかったら、私の家に遊びに来ないか? カルカッタから南東にあって、ベンガル湾を見ることができる。ベンガル湾はきれいだ ぞ。もちろん金はいらない。」
(これってもしかして、『進め!電波少年』のRマニアがスワンの旅を始めたあたりかも?)
「いや、私はもっと他の土地にも行ってみたい。バナーラス、アーグラー…」
「他の町はだめだ。ベンガル州が一番だ。デリーなんてもう最悪だ。明日迎えに来るよ。何時がいい?」
「たぶん7時ぐらいに起きると思うから…」
「じゃあ、9時に迎えにくるよ。」
 と、なんとなく約束してしまった。雰囲気に流されちゃった。あ〜、どうしよ〜、困った困った。ちょっとだけムスタファとつきあっ て、途中でお別れしたらいいかな。しかし、それもかわいそうだなあ。明日どうしよ〜。とりあえずリコンファームしないとなあ。それに ガールフレンドや親も心配してるだろうから、早く連絡せなあかんなあ。やっぱりここは危険な国だぁ。とりあえず体力だ。寝よう。
 こうしてインド初日の夜は高い宿に泊まることになってしまったが、まあよしとしよう。ゴキブリや南京虫の巣くうベッドよりはましだ ろう。すぐに眠ってしまった。

※注
(1) 「地球の歩き方」編集室、『地球の歩き方Bインド1999〜2000年版』、株式会社ダイヤモンド・ビッグ社、1998年。
(2) 当時の為替レートは、1ルピー=3.5円、1USドル=38ルピー。
(3) 滝田洋二郎監督、『僕らはみんな生きている』、松竹、1993年、一色伸幸原作・脚本、真田広之・山崎努・岸辺一徳他出演。 海外派遣の会社員が内戦に巻き込まれてサバイバルするというお話です。
(4) 本文中において、会話文を日本語で書いていますが、実際には英語で喋っていることがほとんどです。以後も日本語で書きます が、英語を和訳したものとしてお読みください。



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