手作りの世界史実物教材

備中ぐわ、千歯こき、唐箕


       


1.江戸時代の新商品

 中学校の歴史教科書によく載っている、江戸時代の新しい農具三つです。
 江戸時代の前期、初代将軍家康から4代家綱の頃まで、日本社会は高度経済成長の中にありました。「大開発時代」とも呼ばれ、大名たちが生産力向上のために新田開発をさかんにおこない、耕地面積や石高、村数、人口がおおはばに増えました。
 そんな時代に、農作業の効率化を図るために普及したのが、備中ぐわ、千歯こき、唐箕です。


2.備中ぐわ

 水分の多い粘質土は、普通の土に比べ、鍬の刃に多くの土が付着します。そのため、普通の鍬では打ち込むのに抵抗が大きく、とっても疲れます。このような問題を解決するために、刃を3〜5本に分けて 土と触れる面積を小さくした備中鍬が、江戸時代の後期に登場しました。
 発明者は、備中松山藩の財政改革に取り組んだ山田方谷といわれます。備中地方は良質の砂鉄が採れるため、山田方谷は鍬や鋤を次々と生産して江戸に直接搬送して販売しました。中でも備中鍬はかなりのヒット商品だったようで、備中松山藩の財政再建に役立ちました。


3.千歯こき

 井原西鶴の『日本永代蔵』(1688)に、「川ばたの九助」という人物が千歯こきを発明して、小百姓から綿問屋に出世する話がでてきます。この九助が千歯こきの発明者というのはおそらく創作で、井原西鶴が当時の世情を自分の著作にとり入れたんでしょう。
 井原西鶴が活躍した時代、都市でも農村でも労働力が不足し、労賃が上昇していました。それまで脱穀といえば、二本の「扱き箸(こきはし)」といわれる割竹の間にイネやムギをはさんで行われていました。手作業でおこなうため、それはそれは大変な作業で、アルバイトをいっぱい雇わないといけなかったようです。田植や収穫の時期は、大量に労働力が必要で、手持ちの労働力では、そのような労働ピークを乗り切ることができなくなっていました。
 そんな時に登場したのが、こきはしの3〜10倍のスピードで籾(もみ)をとることができる千歯こでした。櫛のような部分が鉄製で、ここに稲穂をかけて引っ張ると穂から籾がとれる仕組みです。鉄は決して安価なものではなかったはずですが、それでも鉄製の千歯こきを購入する農家が多かったということは、商品作物の栽培により農家の現金収入が増え、経済的余裕のある農家も多かったということでしょう。
 千歯こきを買う余裕のない農家の話が『近世畸人伝』(1800年頃)に出てきますが、「こきはし」を使い続けた儀兵衛という人物がかなりの変わり者として描かれています。千歯こきを使わない農家の方が珍しくなっていたんですね。
 ともかく、農家は千歯こきを導入することで、アルバイトに払う費用を抑えることができて大助かり。
 困ったのは「こきはし」を使った脱穀作業のアルバイトをしていた人たちでした。後家(未亡人)たちの収入の一部を奪ったことから、千歯こきは「後家倒し」とあだ名されました。イノベーションはいつの時代も雇用を破壊するんですね・・・。


4.唐箕(とうみ)

 脱穀の後は、籾殻(もみがら)と米粒を選別する作業が待っています。そんな時、大活躍したのが唐箕! 上の穴から籾(もみ)を入れ、ハンドルを回すと内部の風車が風をおこし、重い米粒は下の穴から、軽い籾やゴミは横の大きな穴から吹き出てくるという仕組みです。

 この教材では、生徒たちにより視覚的に理解してもらうために、裏側を透明アクリルで作ってみました。




5.模型の製作過程

1. インターネットで画像検索。近所の郷土資料館で実物を見る。

2. Adobe Illustratorで設計図を作成。

3. レーザーカッターで切り出す。
 厚さ4mmのシナベニア、厚さ2mmの透明アクリルを使用。

 千歯こきの刃は、つまようじを使っています。

 
【参考文献・ホームページ】

・飯沼二郎/堀尾尚志『ものと人間の文化史 19・農具』法政大学出版局、1976年